七夕は、日本人なら、知らない人はいないんじゃないかというぐらい有名な日本文化の一つです。そんな七夕ですが、発祥の地はどこかご存知ですか?そういった場所では、七夕祭り等のイベントもあるので、足を運んでみてもいいかもしれませんね!
七夕とは?
多くの方が、幼稚園や学校などでお願い事を書いた短冊を笹の葉に吊るして、ひこぼしとおりひめにお願いごとをしたのではないでしょうか?今ではデパートでも短冊にお願い事を書くイベントをやっている所があり、七夕は、みんなが知っている日本の文化一つですね。
七夕は、中国、日本、韓国、ベトナムなどにおける節供、毎年7月7日に行われている節日の一つです。季節の節目などを祝う行事として行われている五節句の一つにも数えられます。
※『五節句』
人日(1月7日)、上巳(3月3日)、端午(5月5日)、七夕(7月7日)、重陽(9月9日)
七夕は、どこから来たのか?
七夕は、日本古来の風習(棚機津女(たなばたつめ)の伝説)と、中国から伝わった風習(織姫と彦星の物語)が合体して、日本独自の風習として根付いたものです。織姫と彦星の物語はとても有名ですよね!
物語をざっくりと説明すると、天を支配している神様の娘、織姫はとても働き者で、毎日コツコツとはた織りをしていました。「年頃の娘なのに、はた織りばかりして・・・」と、娘を不憫に思った天帝は、牽牛という働き者の牛使いの青年と織姫を引き合わせてみた所、二人はたちまち惹かれあい、ゴールイン。二人は結婚しました。
とても仲のいい夫婦でしたが、遊んでばかりいて、仕事をしなくなりました。天の神様が注意をしても、聞く耳持たず。二人が仕事をしない為に、機織にはホコリがたまるし天の神様の服はボロボロ。畑は草だらけで作物は枯れて、飼っていた牛はやせてガリガリに痩せて、病気になってしまいました。
そんな訳で、当然、天帝は激怒。「もう二人を合わせるわけにはいかない」と、二人を天の川の東と西に引き離します。
それからというもの、織姫は、毎日泣いているし、牽牛も家に閉じこもってしまいました。怒られて引き離されたことがショックで、仕事に手がつかなかったんですね。
困った天の神様は、「お前たちが、以前と同じように 毎日まじめに働くのなら、年に一度だけ会うことを許そう」と言い、その言葉を聴いた二人は、年に一度、会うことのできる日を楽しみにして、仕事を頑張りました。
年に一度会うことを許された7月7日の夜、織姫は天の川を渡って彦星に会いに行きますという物語です。織姫と彦星って、恋人だと思っていましたが、結婚してて夫婦だったんですね!
では、七夕発祥の地と言われている二つの場所をご紹介しますね。
七夕発祥の地
『大阪枚方市・交野市』
七夕発祥の地と言われる、大阪枚方市・交野市のあたり一帯は平安時代の頃は「交野が原」と呼ばれていました。この地が、日本に於ける七夕伝説発祥に地と伝わっています。時代は、平安時代初期。桓武天皇(在位:781~806年)は「交野が原」にて、北極星を祭り、国家の安泰を祈願し、たびたび狩猟を楽しんだといわれています。
その後、貴族たちの遊猟地と栄え、『古今集』には在原業平が惟喬親王の狩猟の供をした時に、「狩り暮し 棚機津女(たなばたつめ)に 宿借らむ 天の川原に 我は来にけり」と詠んだ歌が載っており、この頃には既に七夕の伝説が定着していたものと思われます。
大阪交野機物神社では、毎年、七夕祭りを開催しています。笹の木に多くのカラフルな短冊が揺れているのは圧巻ですよ。
開催場所:機物神社(はたものじんじゃ)
日時:7月7日頃
料金:短冊1枚100円
URL:http://hatamono.web.fc2.com/
『福岡県宗像市 大島』
宗像市の大島は七夕伝説発祥の地と言われていて、大島 中津宮で行われる七夕祭の歴史は鎌倉時代からと昔からあります。
宗像大社中津宮の境内に流れる「天の川」をはさんで牽牛神社・織女神社が祀られ、旧暦の7月7日に近い8月7日に島内にて盛大に七夕祭りが行われます。
出典
宗像大社 公式ホームページ(http://www.munakata-taisha.or.jp/html/summer.html)
『七夕祭り』
大島小学校と中学校の生徒さんによる歌と演奏や、などのイベントもあります。また、露店などと出ていて、楽しめますよ。
開催場所:大島港緑地公園と中津宮の境内
日時:旧暦の七夕(8月7日)
まとめ
七夕とは、日本の風習と中国の風習が一つになった日本独自の風習です。だから、七夕発祥の地と言われている場所が二つあるのかもしれません。
『福岡県宗像市 大島』、『大阪枚方市・交野市』と、それぞれ七夕にはお祭りを開催しています。短冊が揺れるカラフルで賑やかな、一味違った夏祭りを楽しむのも良いかも知れませんね!